知的障害を伴わない発達障害のことをアスペルガー症候群というそうで、編集者とアスペルガー症候群の翻訳家2人がそれについて対談する本。
浜乙女さんのレビューをみて、気になって読んでみる。

登場する2人は先天的な要因により自律神経が正常に動作しておらず、普通の人なら無意識にできることを意識してやらないといけないとのこと。
(それは想像を絶する大変さだ。
 ふと思ったが、自律神経をだますことからくる錯覚はアスペルガーの人には起きなかったりする?)

言ったことを額面どおり真に受けるなど、ドラマに出てくる(重度の?)自閉症に近い特徴もみられるそうで、
(つまり、先天的に「行間」や「空気」が読めない)
コミュニケーションに問題があることが多いとのこと。

自閉症でないことを定常発達というそうだが、じゃあ完全な定常発達の定義ってなんだろうかと思った。

性格が変わっている人、行間や空気が読めない人なんてたくさんいると思うのだが、もしそれらが先天的な要因だとすると矯正のしようがなくて、いわゆる「定常発達」なコミュニケーションはなりたたない。
そういうものとして受け入れないといけないのだ。

いわゆる「定常発達」な人だって、他人とまったく同じじゃないだろうし、先天的な要因による細かいコミュニケーション齟齬がありそうだ。
コミュニケーション能力が先天的に多様化しているとするならば、コミュニケーションの「常識」ってなんだろうか。

特に仕事では行間や空気を読むことが重要だと思うが、先天的にそれができない人がいるということを頭の片隅においておくことは重要なことだと思った。
そういうことにピリピリせずに、そういう人だと受け入れて共生することを考える方がポジティヴだ。

自分が「普通」「正しい」と思っていることが自分以外にとって正しくない可能性があるとは常々思っているが、これ読んでその根拠がひとつ増えた。
(ありのままを受け入れるポリシーの強化にも)

コメント

浜乙女(箱推し)
2009年2月18日11:44

突き詰めていくと”人に優しく接する”という至極真っ当なコミュニケーションに行き着くんですよね。
いくつになっても勉強です。

セック鈴木
2009年2月19日12:27

>浜乙女さん
さすがですね。自分にとっては、まずは違和感を感じず受け入れる段階ができてないので、「優しく接する」はさらに一段踏み込んだ段階です。

人間、実は精神的には大昔から進化してなくて、なんでも突き詰めると、結局大昔から言われている当たり前の規範に行きつくのかもしれませんね。
今回の恐慌もしかり。

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