仕事が多忙は免罪符か?
2007年9月19日木曜、金曜と夜に予定があるので今日はやるぜ、ということで8時台に出社したが25時退社。
16時間ほど会社にいて、しかもそれほどストレスになっていない。
まだまだいけそうか。
家に帰ったら、BBQでのU-22平山ばりの無責任な言動にふれて思わず怒ってしまった天然Aからメールが。
よくあることだが、プライベートにおける責任を果たさない理由として仕事を挙げていた。
しつこいようだが仕事が忙しいからうんぬん、というのは、自分だけが忙しいわけではないし、では他の人は忙しくないのか、ということで失礼にあたるのではないだろうか。
といいながら、来週のゴルフ大会を休日出勤を理由に欠席にしてしまった。
仕事だから、というと大抵の人は納得してしまうわけだが、本来仕事とプライベートで仕事の方が絶対的に社会的価値が高い、というわけでもないと思うのでそれはおかしい。
日銭を稼ぐことも大事かもしれないが、少なくともプライベートでなんらかの約束をしているならば関係者の人格を重んじて約束の責任は果たすべきであり、それは決して仕事におけるそれより軽いものではないはずだ。
仕事を根拠に予定を断るのは甘えに他ならないのではないか?
現在嬉々として労働時間の増加に適応しているのは、実体験として、このぐらいの忙しさならプライベートもなんとかなるはずだ、という定量値を経験則として得ておくためだ、という動機があるのかもしれない。
というわけで、年末ぐらいまでには
このぐらい忙しいと私生活に支障あり、ここまでならなんとかOK、という自分なりの基準が醸成されていることだろう。
16時間ほど会社にいて、しかもそれほどストレスになっていない。
まだまだいけそうか。
家に帰ったら、BBQでのU-22平山ばりの無責任な言動にふれて思わず怒ってしまった天然Aからメールが。
よくあることだが、プライベートにおける責任を果たさない理由として仕事を挙げていた。
しつこいようだが仕事が忙しいからうんぬん、というのは、自分だけが忙しいわけではないし、では他の人は忙しくないのか、ということで失礼にあたるのではないだろうか。
といいながら、来週のゴルフ大会を休日出勤を理由に欠席にしてしまった。
仕事だから、というと大抵の人は納得してしまうわけだが、本来仕事とプライベートで仕事の方が絶対的に社会的価値が高い、というわけでもないと思うのでそれはおかしい。
日銭を稼ぐことも大事かもしれないが、少なくともプライベートでなんらかの約束をしているならば関係者の人格を重んじて約束の責任は果たすべきであり、それは決して仕事におけるそれより軽いものではないはずだ。
仕事を根拠に予定を断るのは甘えに他ならないのではないか?
現在嬉々として労働時間の増加に適応しているのは、実体験として、このぐらいの忙しさならプライベートもなんとかなるはずだ、という定量値を経験則として得ておくためだ、という動機があるのかもしれない。
というわけで、年末ぐらいまでには
このぐらい忙しいと私生活に支障あり、ここまでならなんとかOK、という自分なりの基準が醸成されていることだろう。
コメント