同じ値段でも

2005年4月4日
昨日の会食はひとりX万円ちょいだったわけだが、たかが昼食と考えると高く感じるものの、新幹線で往復したり、飛行機で片道の移動をしたり、靴を買ったり、と日常的では無いにしろ、普段高いと思わずに行っている購買活動で消費する金額とそう変わらないことを思うと、何故「高い」と感じるのか結構不思議。

普段の生活で1回の食事にX万使わないからだ、と言い切ってしまえばそれまでだが、じゃあなんで上記で上げた例に対して高い出費だと思わないのか、不思議である。
無意識のうちに、新幹線で往復したらX万以上かかって当たり前、という価値観が出来上がっているのだ。

一昨日、「一人XXX円ぐらいで料亭に行くんだけど、来ない?」と誘ったときに一様に「XXX円あったら○○が何回できる」とかいうリアクションを示したが、○○の内容が人それぞれで違ったのがなかなか面白かった。
大きさの単位は東京ドーム何個分だとか、重さの単位が小錦何人分(古すぎ?)だとかとはよくいったものだが、お金を消費する対象を比較する際の基準というのは十人十色なのだろうか。

ブランドだのサービスだの、原価はたいしたことなくても「そのくらいの値段で当たり前」と思わせてしまうことで楽な商売しているのだから、ブランドイメージって凄いなあと改めて認識した。
確かに高いものは良いのだが、その価格は決して適正とは限らないのだ。
高いものに金を払ったという自己満足の欲求を引き出したのをいいことに、紐がガバガバになった財布の中身をごっそり持っていくのだ。
なんだか火事場泥棒っぽい感じがする。

人間て不思議な生き物ですわ。

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