稲中卓球部は、主人公の紹介から始まるのだがその序文はたしかこうだ。
「彼の名は前野。いわゆる、自分のことを賢いと思っているバカである」
これを読んだ当時、俺は衝撃を受けて、「自分のことを賢いと思っているバカ」だけにはなるまいと心に誓ったものである。

これはいわゆる無知の知をわきまえてないと起こる現象だと思うのだが、自分も含めて高等教育を受けた人間がしばしばはまりがちな現象だと思う。(かくいう自分も、まわりからはそう見えているかも知れないから怖いのだが)

「自分のことを賢いと思っているバカ」は、よくわからない自信を持っており、しばしば中途半端な実力を誇示しては嘲笑の対象となったり、場合によっては人に迷惑をかける。
たとえば、知識をひけらかそうとしてそれが間違ってたり、教養を示そうとしてそれが陳腐なものだったりとかっていうのは枚挙に暇がないのだが、
「英語は俺にまかしといてください」と言って出張に行ったもののまったく使い物にならなかったなんていう洒落にならない事例もある。
前述したN氏の場合も後者のようなもので、いわゆるできないことをさぞできるように語る人種である。

「自分のことを賢いと思っているバカ」問題の根が深いところは、バカが誇示するものが根拠のないものだったり間違ってたりするというのを判断できる人間がいないかぎりはその事実はわからないままだし、バカがしばしば誇示する対象とする知識とか教養とか技術というものが、非常に奥が深くて上には上がいれば下には下がいるというところである。
(ここの日記でレビューをやることがあるが、レビューって知識とか教養とかがさらけだされるので、何事も中途半端な俺としては恥ずかしい)

そして、「自分のことを賢いと思っているバカ」に出会った人たちは、心無い場合容赦なくバカを叩いてカタルシスを得るわけだが、心ある人たちの場合バカのプライドを傷つけまいと気を使うので、これまたバカが気付かないところで人に迷惑をかけてしまうのだ。
それでもって、バカたちは自分の知識や教養などが充分だと思い込んでいるので話がある程度から発展せず話していてもまったくつまらない。

さらに、「自分のことを賢いと思っているバカ」は、自分の中途半端な実力を誇示する手段として自慢話を好むのだが、そもそもこの自慢という慣習、自慢する当人以外は「へえすごいねー」とか心にもない相槌を打つ以外になくまるでくだらないのだけど、この自慢という慣習をなくすわけにはいかないだろうか。
さらにバカは知識の一環として必要ないところでわざとテクニカルタームとかスラングを使いたがるが、それって話がわからない人が増えるだけで、コミュニケーションスキルとしては劣っているということに気付かないのだろうか。普通の言葉に言い換えろよ。

そんなわけで、せまいコミュニティで猿山の大将でもやりたい人以外はよくわからない自信を以って中途半端な実力を誇示すべきでないというのが俺の持論で、しばしば「自分のことを賢いと思っているバカ」に出会っては嫌悪の情を催し、自分がそういう風に陥っていないか自戒するのである。

逆に、全てにおいて謙虚な姿勢(卑屈ではなく)を持った人に出会うと、その人の能力、性格如何に関わらずとてもすがすがしくて、コミュニケーションの中から新たな疑問が発見されたりで非常に新鮮であり楽しいのである。
自分もそうありたいと願うばかりだ。

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