防災の日に血を抜く
2003年9月1日会社に献血の出張所が来ていたのでぬいてもらった。血を。
土日の運動の疲れが出ていたのか、抜き終わったあとちょっとフラフラした。
で、使用後の血圧と脈拍を測られたのだけど、使用前が120−70の脈56だったのが使用後は血圧変わらず、脈は47だった。
そもそも脈56というのが、いつも50前後の俺的には多めに思っていたのだけど、普通の人の脈は60−80なのでフラフラしたあとに47だとさすがに心配されたようだ。
ところで一生の心臓の脈拍数は一定で、運動したら脈を多く打つから早死にする、とかいう考え方をどっかで聞いたか読んだかしたことがあるのだけど、
一生の脈拍数が一定なのかどうかはさておくとしても、
たとえば平静時の脈拍70の人が脈拍140ぐらいのつらめの運動強度の運動を一日60分やったとして(これはまじでつらいから普通こんなにできないだろう)、70×60分多めに打った分は、運動を続けるうちに平静時の脈が60に減ったとしたら−10×60分×23時間で一日あたり160×60分ぶんの脈拍数を得するわけだから逆に長生きするということになるじゃないか。
俺の場合は多くて55としても、普通の人が70ぐらいだとしたら1分につき15回脈を節約できているという話になる。
まあ、上記の話は、平静時の脈拍が減るほど運動をしない人がたまに運動した場合の話で、運動が嫌いな人が運動をしないための口実として使われるものなんだろう。
何事も中途半端はよくないということか。
土日の運動の疲れが出ていたのか、抜き終わったあとちょっとフラフラした。
で、使用後の血圧と脈拍を測られたのだけど、使用前が120−70の脈56だったのが使用後は血圧変わらず、脈は47だった。
そもそも脈56というのが、いつも50前後の俺的には多めに思っていたのだけど、普通の人の脈は60−80なのでフラフラしたあとに47だとさすがに心配されたようだ。
ところで一生の心臓の脈拍数は一定で、運動したら脈を多く打つから早死にする、とかいう考え方をどっかで聞いたか読んだかしたことがあるのだけど、
一生の脈拍数が一定なのかどうかはさておくとしても、
たとえば平静時の脈拍70の人が脈拍140ぐらいのつらめの運動強度の運動を一日60分やったとして(これはまじでつらいから普通こんなにできないだろう)、70×60分多めに打った分は、運動を続けるうちに平静時の脈が60に減ったとしたら−10×60分×23時間で一日あたり160×60分ぶんの脈拍数を得するわけだから逆に長生きするということになるじゃないか。
俺の場合は多くて55としても、普通の人が70ぐらいだとしたら1分につき15回脈を節約できているという話になる。
まあ、上記の話は、平静時の脈拍が減るほど運動をしない人がたまに運動した場合の話で、運動が嫌いな人が運動をしないための口実として使われるものなんだろう。
何事も中途半端はよくないということか。
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