ラッキーストライク
2002年7月16日たばこのラッキーストライクの由来は、一説には広島の原爆の爆発の様子を上から捉えたものなんだと友人が言っていたけど、マトモな読み物では違う由来を説明してたので後者の方が正しいかもしれない。
でも、当時はそれを聞いて以来、ラッキーストライクを吸ってる奴を見るたびに、この非国民が!
と思っていた。
そんな折、アメリカ旅行をしてワシントンにいったら、スミソニアン博物館でエノラゲイ特別展示をやっていた。
おおー、これが広島市民を焼き尽くした悪魔の爆弾を運んだ機体かー。と去来する様々な思いとともに展示を見てまわると、最後にはエノラゲイに乗った勇者たち、みたいな短い記録映画を上映していた。
勇者っていうか、一瞬で人を殺した人数の世界記録保持者だろ?
とか思ったわけだけど、中国とかに行けば今度は日本が加害者になった歴史資料とかが拝めるわけで。
(ただし、戦争被害らしい被害は実はあんまりないという朝鮮は却下)
国連での原爆資料展示が延期(中止?)になったというニュースを読んでふとそんなことを思ったのだけど、子供の目に残酷な描写が触れるからという理由はいかがなもんだろうか。
そもそも戦争の名で公然と行われる殺戮行為自体残酷なものなんだから、その成果物のむごたらしさを子供のうちから知っておけばトラウマになって本能レベルでの立派な戦争嫌いに育つんじゃないだろうか。
(なんだか、「時計仕掛けのオレンジ」っぽい感じだけど。。。)
俺だって、幼少の頃に「E.T.」見に行って並んでたときに観た「人食い人種」の映画のスチル写真アンド予告編のせいで何度もうなされたし、
3歳ぐらいの夏のある日、サンダルと足の間に蟻がたくさんたかった巨大ヒグラシがはさまっていた体験から、多分今でも、あんな無害な生き物、蝉が今でも大嫌い、というプチトラウマかかえちゃってるわけです。
話はそれたけど、アメリカ・日本に限らず、自分が直接関わってるわけでもない昔の過ちについて繰り返し突っ込まれるのはイヤなことだけど、一方で被害者にしてみれば二度としてくれるなって思うわけで、
ドイツなんか「シンドラーのリスト」だのなんだのと繰り返しナチスのことを穿り返されるわけだけど、そういうのってドイツ人的にはどんな心境なんだろうか。
まーなんつーか、正しい戦争なんてありえないわけで、過去のことについていつまでもネチネチとこだわったり、ありもしない正当性を並べ立てるんじゃなくて、過去は過去としてこだわりすぎず、そこであった事実をもとに前向きで建設的な発想とか行動ができればいいのにな、
と思いつつも実際なかなか難しいんだろうなと思った次第であり。
これってでも、被害者と加害者両方の立場を体験しえて初めて考えられることで、そういった意味で日本人とかは率先してやらないといけないことなのでは。
となんか中学生日記みたいな今日の日記。
でも、当時はそれを聞いて以来、ラッキーストライクを吸ってる奴を見るたびに、この非国民が!
と思っていた。
そんな折、アメリカ旅行をしてワシントンにいったら、スミソニアン博物館でエノラゲイ特別展示をやっていた。
おおー、これが広島市民を焼き尽くした悪魔の爆弾を運んだ機体かー。と去来する様々な思いとともに展示を見てまわると、最後にはエノラゲイに乗った勇者たち、みたいな短い記録映画を上映していた。
勇者っていうか、一瞬で人を殺した人数の世界記録保持者だろ?
とか思ったわけだけど、中国とかに行けば今度は日本が加害者になった歴史資料とかが拝めるわけで。
(ただし、戦争被害らしい被害は実はあんまりないという朝鮮は却下)
国連での原爆資料展示が延期(中止?)になったというニュースを読んでふとそんなことを思ったのだけど、子供の目に残酷な描写が触れるからという理由はいかがなもんだろうか。
そもそも戦争の名で公然と行われる殺戮行為自体残酷なものなんだから、その成果物のむごたらしさを子供のうちから知っておけばトラウマになって本能レベルでの立派な戦争嫌いに育つんじゃないだろうか。
(なんだか、「時計仕掛けのオレンジ」っぽい感じだけど。。。)
俺だって、幼少の頃に「E.T.」見に行って並んでたときに観た「人食い人種」の映画のスチル写真アンド予告編のせいで何度もうなされたし、
3歳ぐらいの夏のある日、サンダルと足の間に蟻がたくさんたかった巨大ヒグラシがはさまっていた体験から、多分今でも、あんな無害な生き物、蝉が今でも大嫌い、というプチトラウマかかえちゃってるわけです。
話はそれたけど、アメリカ・日本に限らず、自分が直接関わってるわけでもない昔の過ちについて繰り返し突っ込まれるのはイヤなことだけど、一方で被害者にしてみれば二度としてくれるなって思うわけで、
ドイツなんか「シンドラーのリスト」だのなんだのと繰り返しナチスのことを穿り返されるわけだけど、そういうのってドイツ人的にはどんな心境なんだろうか。
まーなんつーか、正しい戦争なんてありえないわけで、過去のことについていつまでもネチネチとこだわったり、ありもしない正当性を並べ立てるんじゃなくて、過去は過去としてこだわりすぎず、そこであった事実をもとに前向きで建設的な発想とか行動ができればいいのにな、
と思いつつも実際なかなか難しいんだろうなと思った次第であり。
これってでも、被害者と加害者両方の立場を体験しえて初めて考えられることで、そういった意味で日本人とかは率先してやらないといけないことなのでは。
となんか中学生日記みたいな今日の日記。
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