自省録
2002年5月6日山ごもりから帰ってきた。
以前より左足でボールをさばけるようになり、「ローマ人の物語9」を読破し、「サカつく2002」はストレスが溜まるだけだったセガサターンの初代よりはゲームバランスが向上していることがわかる、
という収穫を得た。
休みの間はこれを書かなかったのだけど、これとは別にノートに自分だけの日記を書いている。
しかしながら、読まれる可能性の低いはずのそっちの日記には2〜3行の行動記録を書くだけで、そのときの心情等はその行動記録から推察するべし、という暗号文のようなものである。(読み返すと、実際それだけで当時の心情が思い出されるのだ。)
言ってみれば、あらすじしか書いてない感想文のようなもので、作文としては0点だ。
一方でこの日記は、人に読まれることを前提としており、他人にはどうでも良さそうなことや単なる出来事の箇条書きは極力避けているつもりである。
また、個人的には長い文章はよっぽど面白くないかぎり読む気がしないので、なるべくブラウザを最大にしたときに一日分が全部おさまるような長さを心がけている。
てな感じで、日記といいつつもほぼ毎日人に読まれることを意識しつつ文章を書いていることになるのだけど、なかなかどうして難しいし、そういうコラムとかでお金を貰えるようなものを書いている人はすげえよなあ、と感嘆するばかりなのだ。
以上、これを始めた当初、有名Webサイトの「Webやぎの目」のやぎコラムみたいなバカ話ばっかり書こうかと思ったのに、不思議なことに性格が出るのかそうはならなかったので、なんでこれを書いてるのかについて考えてみた。
以前より左足でボールをさばけるようになり、「ローマ人の物語9」を読破し、「サカつく2002」はストレスが溜まるだけだったセガサターンの初代よりはゲームバランスが向上していることがわかる、
という収穫を得た。
休みの間はこれを書かなかったのだけど、これとは別にノートに自分だけの日記を書いている。
しかしながら、読まれる可能性の低いはずのそっちの日記には2〜3行の行動記録を書くだけで、そのときの心情等はその行動記録から推察するべし、という暗号文のようなものである。(読み返すと、実際それだけで当時の心情が思い出されるのだ。)
言ってみれば、あらすじしか書いてない感想文のようなもので、作文としては0点だ。
一方でこの日記は、人に読まれることを前提としており、他人にはどうでも良さそうなことや単なる出来事の箇条書きは極力避けているつもりである。
また、個人的には長い文章はよっぽど面白くないかぎり読む気がしないので、なるべくブラウザを最大にしたときに一日分が全部おさまるような長さを心がけている。
てな感じで、日記といいつつもほぼ毎日人に読まれることを意識しつつ文章を書いていることになるのだけど、なかなかどうして難しいし、そういうコラムとかでお金を貰えるようなものを書いている人はすげえよなあ、と感嘆するばかりなのだ。
以上、これを始めた当初、有名Webサイトの「Webやぎの目」のやぎコラムみたいなバカ話ばっかり書こうかと思ったのに、不思議なことに性格が出るのかそうはならなかったので、なんでこれを書いてるのかについて考えてみた。
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